東京裁判 デジタルリマスター版 [DVD]

東京裁判 デジタルリマスター版 [DVD]詳細

東京裁判 デジタルリマスター版 [DVD]

#100

製作期間5年! 製作費4億円! ! 激動の時代の人類史が刻印された真実のフィルムがデジタルリマスター版で復活! ! 第二次世界大戦終結後行われた極東国際軍事裁判、世に言う東京裁判の実態と概要を描くため、アメリカ国防総省から公開された50万フィートにおよぶフィルムを編集し、講談社創業70周年の記念企画作品として1978年から制作期間5年、総製作費4億円をかけて製作された本編277分にも及ぶ未曾有の歴史ドキュメンタリー映画『東京裁判』。1983年に公開された本作は昭和史回顧の決定版として空前の話題作となり、新聞、雑誌、TV等の記事掲載、放送件数は250例余りに及び、第26回ブルーリボン賞作品賞を受賞。1985年には、ベルリン国際映画祭に正式招待され同映画祭国際映画批評家協会賞を受賞。その後世界十数か国の映画祭に出品された。戦争の実態と結果および国際軍事裁判による評価が、総合的、客観的に記録されているこの歴史的価値のあるフィルムを後世に残すべく、近年のデジタル技術を駆使し、映画「東京裁判」の脚本、監督補佐である小笠原清、エグゼクティブプロデューサーの杉山捷三の全面協力のもと、東京裁判の判決から70周年にあたる2018年、デジタルリマスター版制作を開始。フィルム修復技術活用によるフィルムスキャン、フィルムについたゴミ、キズ、その他の劣化のデジタル修復、画格の上下のブレ、グレーディングなどの修正を行い、4Kスキャン、ハイクオリティの2Kデジタルリマスター版が完成した。 SALES POINT1平成が終わり新元号になる2019年。この節目の年に平成の前の時代である昭和の歴史を振り返る超1級のドキュメンタリー映画! SALES POINT2製作当時のエグゼクティブプロデューサー、脚本、監督補佐の全面協力により、最新技術で作られた驚異のデジタルリマスター版。東條英機、ダグラス・マッカーサー、ヒトラー、チャーチル、スターリン・・・クリアな映像で”歴史”に立ち合う4時間37分 SALES POINT3監督は『怪談』『切腹』でカンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞した巨匠・小林正樹。ナレーターは名優・佐藤慶。 SALES POINT4第26回ブルーリボン賞作品賞受賞 1985年ベルリン国際映画祭国際映画批評家協会賞受賞

東京裁判 デジタルリマスター版 [DVD]口コミ

第二次世界大戦から東京裁判のことが実録の画像で、よくわかりました。

映画館で前後編を観ました。
長時間なので
もう一度観る為&子ども達にもみせたくて購入。
佐藤慶さんのナレーションが凄くいいです。

歴史に興味があって、貴重な映像がみられると思って購入しました。長くて見るの大変でしたが、一番驚いたのは、今までA級戦犯や東京裁判について抱いていたイメージと、本人たちの写っている映像を見た感じとの格差があったことです。漠然と「悪い人たち」と思っていたのですが、映像で見る彼らは言い訳するでもないし、粛々と判決を受け入れていました。礼して退場する姿が、潔くて、切腹前の武士ってこんなだったのかな、という感じがしました。
戦後7年くらい情報統制されていたというので、当時の戦争について、私たちの知らない本当のことが結構沢山あるのだろうな、と思いました。

1941年、対米開戦をめぐる御前会議の内容は米国大使に通報されていた。情報を提供したのはおそらく吉田茂ではないかと五百旗頭真(いおきべまこと 2006〜2012防衛大学校長)はいう。
(五百旗頭は天木直人によると御用学者中の御用学者であり、「日本が起こした侵略戦争は日本の国益を損ねた」とする見解の持ち主である。アメリカ様にたてついてはいけないという彼の立場からすれば、彼は吉田の行動を肯定しているのだろう。)

『米国の日本占領政策』 五百旗頭真 …………

第七章 国務省原案の成立――1944年

「日本の戦後処理という問題にグルーが真正面から踏み込んだのは、8月25日に「戦争目的」をテーマとするラジオの番組に出演した時である。軍国主義者の圧政から解放された日本人が、戦後、教訓を学び取って立ち上がり、彼ら本来の美質を発揮するであろう、との展望をグルーは語った。米国の任務は、日本の旧弊を切除しつつも、民主主義と国際主義のもとでの再生の機会を与えることでなければならなかった。

 そして、カイロ宣言が発表された12月には、グルーの姿勢はいっそう明瞭となった。「日本の軍国主義者は日本自身の最大の敵である」と断定した。さらに、天皇を善良な一般日本国民の代表として位置づけ、その擁護論にまで進もうとする。天皇が真珠湾攻撃前の御前会議(1941年9月6日)において、対米戦争反対の異例の発言をおこなった秘話を、グルーはラジオ放送で披露した。43年12月16日のダンバートン・オークスでの演説において、グルーはさらに天皇制の問題に踏み込んだ。「天皇は戦争を望んでいなかった。そのことは詳細な内部情報によって明らかである。」しかしながら「天皇は実際のところシンボルであるに過ぎない」。歴史上、天皇の先祖は将軍たちによって、何世紀もの間、京都に閉じ込められてきた。「もし1941年に天皇があくまで抵抗しておれば、東条将軍もしくは他の軍事独裁者によって新たな幕府が樹立されたであろうことを、自分はいささかも疑わない」。

「なぜグルーは、かくも確信をもって天皇が〈真珠湾〉に責任がないと断定するのか。

 1941年10月25日、日本政府の「最高指導層と接触のある」「信頼すべき日本人情報提供者」が、グルー大使に面会を求めた。グルーが日記にもその名を伏せたこの日本人は次のように語った。――10月16日の近衛内閣総辞職以前に御前会議があり、その席で天皇は軍の指導者たちに対し、対米不戦の政策の確認を求めた。陸海軍の指導者はそれに答えなかった。すると天皇は、祖父の明治天皇が追求した進歩的政策に言及して、自分の意向に従うことを陸海軍に命ずる異例の発言を行った。東条が現役大将のまま首相となったのは、陸軍を効果的に統制しつつ日米交渉を成功裏にまとめるためである、と――。

 ある「日本人情報提供者」がグルーに告げようとしたのは、9月6日の御前会議の概要である。
(中略)
 50日を経た10月25日時点でのアメリカ大使へのリークが、誰により、どのような経緯からなされたのか。日米関係が戦争と平和の間のとがった稜線をきわどく歩む当時の状況において、日本政府の奥深くでなされた会議の最高機密を、ほかならぬ米国大使にもらすことは、国家反逆罪にも相当する行為である。忠実な公僕や節度ある親米家のなしうる業ではない。第一に日本政府内の高度な情報に通じ、第二に常軌を逸した大胆な行動を取る蛮勇に恵まれ、第三にグルーとの間に格別に親密な関係を持つという三条件を満たしうる人物は、樺山愛輔か吉田茂以外に考えられない。グルー文書に収められている当時のグルーの面会リストや日誌からも、二人のうちのどちらかである可能性が高いと感じられる。もう一つ、機会を喪失した近衛が、その挽回を計る季節はずれの努力として人を遣わした可能性も考えられないではない。グルー日記に示される行動様式や、牧野伸顕を通じて高度な情報に接しうる立場を考えれば、吉田である公算が高いであろう。(後略)」

吉田茂はその論功行賞としてアメリカに首相にしてもらったのだろうか。彼は日本のカルザイなのではないか。

「日本人情報提供者」がグルーに「詳細な内部情報」を提供したのは何のためだったのだろう、そして両者の情報交換はいつまで続いたのだろう。毎日新聞の連載「原子の森深く」は湯川秀樹博士は広島の原爆投下を知っていたのではないか、という疑問を弟子に当たる森一久が抱くところからはじまる。情報ルートは戦争中にもつながっていたのだろうか…。

(アメリカは日本の暗号を解読することによって的確な日本軍の情報を手に入れていた、ということになっているが吉田がそれを提供していたということはないのだろうか。お前のやったことを暴露するぞ、と圧力をかけられたら、吉田は拒むことができたろうか。)

一方で、昭和天皇とその周辺のトップエリートたち「宮中グループ」と「軍」との関係・相克についてこんな報告もある。

『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』 加藤哲郎 …………

ライシャワーの傀儡天皇構想

 「雑誌『世界』2000年3月号に、カリフォルニア大学サンディエゴ校T・フジタニ教授が、興味深い論考を寄せている。

 「新資料発見 ライシャワー元米国大使の傀儡天皇制構想」 と題して、ハーバード大学で長く日本史を講じ、ケネディ大統領時代に駐日米国大使として来日し「日本の近代化の成功」を説いたエドウィン・O・ライシャワー教授が真珠湾攻撃一年足らずの1942年9月14日付でメモランダム(覚書)を作り、日米戦争勝利後の「ヒロヒトを中心とした傀儡政権puppet regime」を陸軍省次官らに提言していた、というのである。

 それは、戦後米国の代表的「知日派」ライシャワーの、日本や日本文化に対する愛着・尊敬から発したものではなかった。T・フジタニが見出したように「日本の人々を侮蔑しており、また存続させようという天皇そのものについても軽蔑的な態度」が染み出ていた。

以上に概略を見た「日本計画」ダイジェスト版三頁だけでも、1942年6月時点での、米国における対日心理戦略の基本的方向がうかがわれる。米国を中心とした連合国の戦争の文明と国際法にのっとった大義を示し、日本の戦争を、文明からの逸脱であり侵略的企図を持つものとしてアジア人に示すこと、戦争に導いた日本の軍部と「天皇・皇室を含む」国民との間に楔を打ち込み、「軍部独裁打倒」に力を集中することである。」

「1942年4月のCOI対外情報部の草案は、――

「目的D 日本人に、新体制が誤った概念であり、達成不可能であると確信させること。新体制を作るあらゆる試みが、苦労・悲惨・貧困の増大と数百万の日本人少年の無益な死に帰結する」

「目的G 国内の多くの派閥をフルに利用し、それら不満グループをさらに離間させること。

「3 藩閥将校 対『青年将校』」では、最近の軍内部の薩長藩閥将校から青年将校への主導権の移動を挙げ、暴力的で過激主義の青年将校たちが『リベラルな藩閥将校』を駆逐しつつあること、この貧しい農村出身の青年将校たちの政治哲学は『きわめて社会主義的で反ビジネスstrongly socialistic and against businessmen』であること。等々を述べる。」

……………………

ここから一方には貧しい農村出身の青年将校たち(『きわめて社会主義的で反ビジネス』)が主導権を握る「軍」「新体制」運動(それに対するアメリカの恫喝――『数百万の日本人少年の無益な死』)と、他方にはアメリカがパペット・操り人形として利用しようとする(逆から言えばアメリカを利用して生き残りを図る)昭和天皇と吉田茂などの「宮中グループ」の姿が浮かび上がってこないか。

昭和天皇や吉田たちにとって、きわめて社会主義的で反ビジネスの「軍」とアメリカとどちらが主要な敵だったのだろう。東条は憲兵を使って吉田たち・ヨハンセングループの動向を探らせている。摘発されていれば吉田は国家反逆罪で絞首刑になったかもしれない。しかし吉田は生き延び、占領軍に東条を絞首刑にさせた?!…

学校で教わらなかった事の真実まで判ります。繰返し観ています。

※デジタル・リマスター版Blu-rayのレビューです。東宝東和配給、1983年公開の極東国際軍事裁判を描いたドキュメンタリー映画。25年の秘匿期間を経てアメリカ国防総省から公開された延べ170時間もの裁判記録フィルムを元に編集された本作は、何と長尺4時間37分と本編だけでBlu-ray2枚組のボリュームだ。それでも、2年2ヶ月もの裁判期間、28人の被告人、満州事変から太平洋戦争終戦までの17年8ヵ月の戦時映像を纏めているので、全体的にはかなり駆け足の印象だ。それまでの国際法には無かった「平和への罪=戦争犯罪」と言う概念でドイツを裁いたニュルンベルク裁判、日本を裁いた東京裁判。その歴史的な意味合いを極めて中立的に描いていて、恣意的な情報の割愛や切り取りはされていない。満州事変での帝国陸軍の暴走に始まり、三国同盟に至る欧州・ロシア外交や、米ルーズベルト政権のハル国務長官による確信的に為された経済圧力も丁寧に語られる。一方ロシアは不可侵条約破棄による侵攻や日露戦争まで持ち出す検事姿勢の横暴、シベリア抑留も描かれていて、その辺は西側同盟国としてお行儀良く作られているが、共産主義の日米戦争誘導を画策した陰謀までは斬り込めていない。従来は戦争自体が犯罪とされた事はなく、ましてや王族でもない政治家個人が裁かれるのは異例で、侵略か自衛かの境界線すらも観る角度や立場で変わるので、裁判の法的論拠が難しかった点が良く理解出来る。戦場での捕虜兵への虐待は罪で、一般市民への原爆や焼夷弾投下が起訴されていない矛盾や、見え隠れする米国主導の戦後処理シナリオありきの裁判運営への各国判事からの反発も、印度パール判事を始めとした判決少数意見として取り上げたのは良い判断だ。また、面白いのは検事団だけでなく、弁護団も米国主導と言う点で、西欧型裁判に慣れていない日本被告人を、時には米国政府方針に逆らう論旨展開で弁護する姿には素直に驚き、米国と言う理念国家の持つ奥行きを感じざるを得なかった。更に、マッカーサー率いるGHQによる天皇制に対する戦後処理ポリシーの変化が、ポツダム宣言後の戦勝国間に生まれた米ソ対立と言う新たな軋轢から大きな影響を受けた点もちゃんと語られる。そう考えれば共産主義の台頭により、朝鮮半島が南北、ドイツが東西に分割されたカットを観るにつけ、日本はまだ恵まれていた方だと判る。商品は先ず克明なリマスター画質が素晴らしい。その分、ボカシ等の編集を排した実写映像はかなり刺激的で、数多くの死体だけでなく、絞首刑シーンも有るので覚悟して下さい。音声は会津藩士家系が意味深長の佐藤慶のナレーションは聞き取りやすいものの、素材毎の音圧が一定せず、陳述シーンで音量調整が必要なのは問題。さて、現代日本の精神的枠組みはここから始まっている。「勝てば官軍」によって裁かれた歴史的判決を観る事は、現行の日本国憲法の下で生きる日本人が憲法や外交を語る際に避けて通れない気がする。本作はとても長くて大変ですが、戦後秩序が激変しつつある令和元年と言う節目に観ておくのは国民としてとても大事かも知れません。

世界のどこかに絶対的な善があり

その対極に絶対的な悪があるという事がないのなら

何かが何かについて絶対的な裁きを下すという事もありえない。

そして絶対的に<公正な裁判>もまたありえない。

対峙する者達がどの地点で納得し妥協するか

ただそれが<裁かれる>だけだ。

ならば法廷とは

多かれ少なかれ

原告と被告を主人公として

その法に縛られるその社会の人々に向けて

判例を演じさせる舞台でもあるのだろう。

では「東京裁判」とはどんな舞台だったのか?

人類史上最大の戦禍があり

多くの国の多くの人々がそれに巻き込まれた。

戦争は終ったが

そこで燃え上がった炎は

まだ怨念の熾火として熱いままだった。

「東京裁判」は

世界中に残されたその炎に

まだ焼かれながら苦しむ魂を鎮める

巨大な儀式を行うための舞台だったのではないのだろうか。

私にはこの裁判の行われた法廷が

世界自身の未来を紡ぎ出すための

苦痛の炎を吐き出す蚕だったのではないかと思える。

裁かれた者たちは

忌まわしい記憶とともに純白の繭の中に封じ込められた。

もしA級戦犯たちが<公正な裁き>の下

無罪になっていたら

敗北を諦めきれない人々により日本国内は分裂し

アメリカも中国も日本への攻撃を再開したのではないかとも思う。

「東京裁判」で日本は死んだ。

日本人自身も含めて

とりあえず世界はそれに納得した。

だから次の戦禍は

日本の頭上をかすめて通り過ぎたのかもしれない。

第二次世界大戦で敗北した日本の戦犯を裁く「東京裁判」を当時の映像から読み解く。

先に降伏していたドイツにおける「ニュルンベルグ裁判」の行程・結果を踏まえて東京裁判は実施された。
戦争国による裁きは時に矛盾に満ちたものであり、米国人の弁護人は度々それを指摘する。
ソビエトは「日ソ中立条約」を一方的に破棄して勝ち馬に乗る形で参戦しておきながら、国際法規違反と日本を責める。

戦犯と一括りにされがちだが、28名もの被告の訴追の基準は曖昧であり、満州事変に大きな役割を果たしたと見られる
石原莞爾は病状ということもあってか追訴されなかった。
連合国側の意図は「天皇に責任はない」ことを公にしたいということ。そのためには生贄も必要だった。
被告の中には自身の責任を認めて「罪有り」と告白している者も多く、弁護人がそれでは裁判にならないと「無罪を主張するよう説得した」場面もあった。

文官の広田弘毅は外相・首相を歴任したが、軍部の圧力を抑えきれなかった。
確かに広田個人は平和主義者で不拡大路線支持者であったかもしれないが・・・・・日和見主義者と揶揄されても致し方ない場面も多々あった。
「勝者による裁き」は公平性を大きく欠いている点は否定できず、帝国主義の当時の世相の中においてどこまで責任があったかは今持って確定できない。
「南京大虐殺」については今も尚、議論が必要だろう。