歌舞伎名作撰 菅原伝授手習鑑 寺子屋 [DVD]詳細
#88
『義経千本桜』、『仮名手本忠臣蔵』と並び、三大名作のひとつである 『菅原伝授手習鑑』の中で、特にこの 『寺子屋』 はしばしば上演され、多くの名優が演じて来た演目。夫婦、親子の悲痛な心情を描き、意外な展開を見せるこの義太夫狂言の代表作を、初世松本白鸚の松王丸、十三世片岡仁左衛門の武部源蔵、二世中村鴈治郎の千代、中村芝翫の戸浪という大顔合せでおくる。 【DVD特典】 ●日本語・英語副音声解説付き ●日本語字幕ON / OFF機能付き ●日英バイリンガルDVDメニュー
歌舞伎名作撰 菅原伝授手習鑑 寺子屋 [DVD]口コミ
何といっても、八世・松本幸四郎(初代・松本白鸚)の松王丸、十三世・片岡仁左衛門の武部源蔵がすばらしい。息子の小太郎の首を前に、激しい悲しみの表情を見せる松王丸、しかし玄蕃には知られないように口をついて出てくる言葉は嘘を言っている、この表情の何という雄々しさ! そして終幕の号泣する男泣き。この堂々とした男泣き! やはり、昭和の名優は、今の歌舞伎役者とはいくらか違う気魄と風格があったことが分る。そして、多面的な繊細な表情を見せる武部源蔵も、そのデリケートな感情の表出が素晴らしい。1981年に演じた菅丞相が有名だが、こちらの源蔵もそれに劣らぬ名演技だ。顔立ちも息子の十五世・仁左衛門とよく似ている。線の太い幸四郎とは対照的な繊細さは、親子で受け継いでいるのだなと、あらためて感じる。75年収録なので、カラーの色はやや薄いが、十分に楽しめる映像だ。
訳あって敵となった主君に忠義を立てるため、我が子を御曹司の身替りに差し出し、首実検で変わり果てた子の姿を見届け、よく討ち取ったと大芝居を打つ・・・。丸本歌舞伎(文楽から取り入れた演目)の名作中の名作である。因襲的で醜悪だとか、類型的でリアリテイがないだとか、西洋かぶれの批評(例えば和辻哲郎)が幅をきかせていたのはいつの事だったか、今や歌舞伎は押しも押されもせぬ「芸術」となった。役者の一瞬の芸の内にドラマトゥルギーを圧縮し、絵画的表現へと結実させた歌舞伎の醍醐味を、この寺子屋ほど完璧に実現した作品はない。だが小賢しい理屈などどうでもよい。歌舞伎はもともと大衆演劇なのだ。時代物にせよ世話物にせよ、義理と人情に涙する庶民の娯楽であったことを忘れてはなるまい。首実検で「菅秀才の首にぃ…、相違ない、相違ござらん! でかした源蔵、よく討ったぁ〜」と言ってキマる松王の形相や、後半で笑い泣きから「源蔵殿、ご免下ぁされ〜」と言って大泣きに至る迫真の場面は、何度見ても涙腺が緩む。これはもう究極のカタルシスだ。
配役は初世白鴎の松王、十三世仁左衛門の源蔵、二世鴈治郎の千代と昭和の名優が顔を揃える。好みの問題と言えばそれまでだが、白鴎の長男である当世幸四郎の松王は思い入れたっぷりで、やや過剰気味の演技に女々しさを感じないこともないが、白鴎の松王は悲痛な嘆きの中にも雄々しさを失わないのがいい。一方、源蔵を演じる仁左衛門の端正な台詞と所作は見事という他なく、芝居全体をぎゅっと引き締めている。今この源蔵をやれるのは息子の当世仁左衛門だけだろう。また鴈治郎の鬼気迫る千代も超レアものでシビれる。寺子屋に通う子供の母親というより老婆に近いが、小柄で華奢な身体から絞り出される消え入るような台詞は、我が子を失った母親の悲哀を表現して余すところがない。玉三郎の千代では立派過ぎてこうはいかない。